古文書3 天保の石灯籠

伊冨利部神社に現存する古文書です。この古文書は天保五年(1834)神社境内に石燈籠を寄付した人の名前が書かれています。

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以前より神社境内に江戸時代の石燈籠がある事は知っていましたので調べてみましたら、石燈籠に刻まれている年と同じ年の古文書を見付けました。この古文書は拝殿脇にある下記写真の石燈籠を寄付した時の文書である事がわかりました。

更によく見てみると「古文書1-3」で記載した駒犬の台座に田中茂右衛門、田中新蔵の名前があり古文書の中の茂右衛門、新蔵と同じ名前です。石燈籠を寄付した天保五年(1834)から駒犬を寄付した萬延元年(1860)までは26年です。茂右衛門は黒田村の大地主で何代も同じ名前を継がれている事はわかっています。このお二人は同一人物かその名前を受け継いだ親族の方であると思われます。

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神社には幾つかの古文書がありますが、それらは湿気っていて虫食いがひどく触れると体がかゆくなる様な状態で雑然と放置されていました。よく見ると年代も内容も全く異なるものが「こより」で綴じられていて、あたかも同一文書のようになっているものもありました。

何時の時代に誰がどのようにこれらの古文書を扱ったのかもわかっていません。でもそれらを根気に紐解いていくと何かしら当時の情景を垣間見えるものがあります。

今回たまたまそのなかで実際に現在ある石燈籠を寄付した時の文書を偶然にも発見したのは正に驚きと喜びとで感慨深いものでした。

この時代は天保三年に江戸で鼠小僧が捕まり小塚原で処刑されています。八年には大阪で大塩平八郎の乱が起きています。その後水野忠邦が老中首座に就いて天保の改革を推し進め庶民の生活は圧迫され苦しんでいます。

この時今でも時代劇で馴染み深い遠山金四郎が北町奉行に就き庶民の味方をしたといわれています。芝居小屋も廃止されるところでしたが移転に留めたのでその事に感謝して芝居関係者が「遠山の金さん」を上演して人気を博した事が現代に繋がっているそうです。

明治も間近に迫っています。(明治元年は1868年)

 

神社にはこの他に江戸時代の石造物が幾つか残っていますので紹介します。

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 若宮社石燈籠 天明七年(1787)     手洗い鉢 天保六年(1835)

 

 

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拝殿赤門横 蝋燭立て 天保十年(1839)  拝殿脇 駒犬 萬延元年(1860)