古文書7 神主 林久太夫

伊冨利部神社は延喜式神名帳(927年)に記載されている式内社で古くより由緒ある神社です。神主は林久太夫が代々勤めていました。 元禄七年(1694)の古文書には康正の頃(1455)大火で焼け、勧請の年数はわからず、中興の建立は和田八郎殿、当年まで百拾壱…

古文書6 枇杷島

伊冨利部神社に現存する古文書です。この古文書は文化九年(1812)に本社を再建した時の文書です。当時の徳川将軍は11代家斉です。 この文書で注目したのは氏名の所で「枇杷島」「萱津村」の地名が出て来た事です。 枇杷島、萱津村の人が伊冨利部神社の本社…

古文書5-2 寛保の由緒書

古文書5-1の続きです。 ここでは神社の祭礼が毎年盛大に行われていた事や焼失、再建などについて書かれています。 康正元年(1455)に焼失し、天正十年三月(1582)に再建されたとあります。康正元年は将軍足利義政の時代です。義政は銀閣寺を建てた人で…

古文書5-1 寛保の由緒書

伊冨利部神社に現存する古文書です。この古文書は寛保元年(1741)に神社の由緒を寺社奉行所に報告したものです。ページ数が多いので2回に分ける事にしました。 寛保元年の将軍は八代吉宗です。吉宗は享保元年(1716)に将軍になっていますが将軍を退いた後…

古文書4 享保の由緒書

伊冨利部神社に現存する古文書です。この古文書は享保三年(1716)に神社の由緒を寺社奉行所へ報告したものです。享保年間はテレビドラマでも有名な暴れん坊将軍吉宗や南町奉行大岡越前守がいました。 文書は5ページありますので先頭部と最後部を掲載しまし…

古文書3 天保の石灯籠

伊冨利部神社に現存する古文書です。この古文書は天保五年(1834)神社境内に石燈籠を寄付した人の名前が書かれています。 以前より神社境内に江戸時代の石燈籠がある事は知っていましたので調べてみましたら、石燈籠に刻まれている年と同じ年の古文書を見付…

古文書2 送り手形

伊冨利部神社に現存する古文書です。この古文書には元禄九年(1696)に美濃の国の徳田村の庄屋藤兵衛の姉が尾張の国の八幡村に嫁いで来る時に出された手形です。 元禄はお犬様で知られる五代将軍綱吉の時代です。町人が財力を持ち台頭してきて井原西鶴、…

古文書1-3 文政の太鼓の新発見

「古文書1-2文政の太鼓」で新たな発見をしました。太鼓の内側を見た時に紙が貼ってあったのはわかったのですが随分虫に喰われていてとても読めそうもなかったので無視していました。でも後で思い直して解読に挑戦してみる事にしました。 神社にある古文書…

古文書1-2 文政の太鼓

「古文書1-1天明の太鼓」で太鼓の事を書きましたが、その天明六年(1786)に買われたと思われる太鼓が伊冨利部神社にあります。 いかにも古そうな太鼓ですがよく見ても時代を特定出来るものはなく古文書の太鼓だと言う確証がありません。 津島市に太鼓屋…

古文書1-1 天明の太鼓

伊冨利部神社に現存する古文書です。この古文書には天明六年(1786) に名古屋で神楽太鼓を買ったとあります。最後尾の署名「林久太夫」はこの神社の神主で十数代続いています。名前も林久太夫を代々引き継がれています。 下記は私の古文書の先生が解読した…

一ノ瀬宗辰の神馬

一宮市木曽川町の伊冨利部神社境内に青銅製の神馬が有ります。現在の物は戦後再建された物ですが初期に建立されたのは昭和11年です。古い資料の当時の金額1,500円は現在どのくらい位になるでしょうか。今神馬を新規で製作すれば数百万円は掛かるだろうと思…

伊冨利部神社

愛知県一宮市木曽川町門間字北屋敷3714番地 tel 0586-86-0730 伊冨利部神社は延喜式神名帳(927年)に葉栗の一座伊冨利部天神と記載されている式内社で由緒ある神社です。康正元年(1455)に大火によりすべてを焼失していますが天正十年(1582)に再建しそれ…